まおちゃんのランドセル
夜中の2時に建物火災があって消防団で出動
爆睡状態からサイレンの音で飛び起きたのですが、
思わずテレビをつけてしまいました。
寝ぼけていて、地元の火災なのか災害報道かわからなかったです。
結局、朝6時まで火災現場にいて、
今日はそのまま仕事をしています。
今日のお客様はまおちゃん
爽やかな水色のランドセルだったので
背景も水色の背景を選んでみました。

はじめのうちはちょっと緊張かな?
女の子にこういう水色が人気なんですよね。
黒板に名前と好きな絵を書いてもらいました。

1年生になったときの記念の文字ですが、
なんでもいいから好きな絵を描いてくださいね。

AKB48のお姉さんが着ているような服ですね。
まおちゃん、今日はありがとうございました。
11日の大地震が発生してから<不謹慎産業>という新しい言葉が生まれたようです。
YAHOOに<不謹慎産業>と入れるとヒットします。
居酒屋、レジャー、娯楽などをさすそうですが
記念写真などのスタジオ産業も余波があるみたい。
民放のCMが公共広告機構(AC)ばっかりというのも
多くの企業が不謹慎だと判断してCMをやめているからでしょう。
この状態がいつまでも続いたら大変なことになってしまします。
今月の結婚式の仕事は全て延期(またはキャンセル)になってしまいました。
交通機関がストップしているのでいたしかたありません。
週末というのに静かな一日です。
(小学校の卒業式当日は、新しい制服の方がたくさんお越しいただきました)
たしかに、入学・入園の記念写真どころじゃない方も大勢いますが
乙武洋匡さんもツイッターでかいていましたが、
不謹慎かどうかは自分自身できめること、
誰かに縛られるものではないだろうと思います。
この春、卒業、入園・入学と新しいスタートを迎える人たちに
今の姿を是非残しておいていただきたいと思います。
ツイッターをされている方、是非フォローお願いいたします
photoabeでつぶやいています。
個人のはフェースブックでやり取りしています。
フェースブックの「尊敬している人物」に<手塚治虫>と書いています。
以前から、手塚治虫さんを尊敬しています。
それは漫画家としてではなく生き方としてです。
手塚さんは昭和3年生まれで中学生のときに太平洋戦争を経験しました。
その時に、軍需工場に借り出されたときも漫画を書いていたのですが、
それが不謹慎と咎められたりしました。
それでも友達から続きの漫画を描いてくれと頼まれ
トイレ(便所っていう方が適切かも?)の壁に漫画を描いたりして
また叱られたりしていたのですが
友達からの依頼でいろんな漫画を描いたのだそうです。
戦争で暗い気持ちになっている友達にたいして
自分が何ができるかを考えてのことだったそうです。
当時は不謹慎と言われたかもしれませんが
自分が何ができるだろうと考えたのは確かだと思います。
そして、戦後になり大阪大学の医学部(当時は名称は違うはず)時代に
プロの漫画家としてデビュー。
戦後の焼け野原の日本にいながら
すばらしい発展を遂げる未来の姿を
漫画に描いていたのは言うまでもありません。
それら、自分が何ができるだろう、
どんなに大変なときでも明るい未来を描いている
手塚治虫さんの人柄を尊敬しています。
「漫画と写真って似ているの?」って聞かれることがありますが
そういうことではありません。
明るい未来を想像する気持ちを忘れないでいたいものです。
爆睡状態からサイレンの音で飛び起きたのですが、
思わずテレビをつけてしまいました。
寝ぼけていて、地元の火災なのか災害報道かわからなかったです。
結局、朝6時まで火災現場にいて、
今日はそのまま仕事をしています。
今日のお客様はまおちゃん
爽やかな水色のランドセルだったので
背景も水色の背景を選んでみました。

はじめのうちはちょっと緊張かな?
女の子にこういう水色が人気なんですよね。
黒板に名前と好きな絵を書いてもらいました。

1年生になったときの記念の文字ですが、
なんでもいいから好きな絵を描いてくださいね。

AKB48のお姉さんが着ているような服ですね。
まおちゃん、今日はありがとうございました。
11日の大地震が発生してから<不謹慎産業>という新しい言葉が生まれたようです。
YAHOOに<不謹慎産業>と入れるとヒットします。
居酒屋、レジャー、娯楽などをさすそうですが
記念写真などのスタジオ産業も余波があるみたい。
民放のCMが公共広告機構(AC)ばっかりというのも
多くの企業が不謹慎だと判断してCMをやめているからでしょう。
この状態がいつまでも続いたら大変なことになってしまします。
今月の結婚式の仕事は全て延期(またはキャンセル)になってしまいました。
交通機関がストップしているのでいたしかたありません。
週末というのに静かな一日です。
(小学校の卒業式当日は、新しい制服の方がたくさんお越しいただきました)
たしかに、入学・入園の記念写真どころじゃない方も大勢いますが
乙武洋匡さんもツイッターでかいていましたが、
不謹慎かどうかは自分自身できめること、
誰かに縛られるものではないだろうと思います。
この春、卒業、入園・入学と新しいスタートを迎える人たちに
今の姿を是非残しておいていただきたいと思います。
ツイッターをされている方、是非フォローお願いいたします
photoabeでつぶやいています。
個人のはフェースブックでやり取りしています。
フェースブックの「尊敬している人物」に<手塚治虫>と書いています。
以前から、手塚治虫さんを尊敬しています。
それは漫画家としてではなく生き方としてです。
手塚さんは昭和3年生まれで中学生のときに太平洋戦争を経験しました。
その時に、軍需工場に借り出されたときも漫画を書いていたのですが、
それが不謹慎と咎められたりしました。
それでも友達から続きの漫画を描いてくれと頼まれ
トイレ(便所っていう方が適切かも?)の壁に漫画を描いたりして
また叱られたりしていたのですが
友達からの依頼でいろんな漫画を描いたのだそうです。
戦争で暗い気持ちになっている友達にたいして
自分が何ができるかを考えてのことだったそうです。
当時は不謹慎と言われたかもしれませんが
自分が何ができるだろうと考えたのは確かだと思います。
そして、戦後になり大阪大学の医学部(当時は名称は違うはず)時代に
プロの漫画家としてデビュー。
戦後の焼け野原の日本にいながら
すばらしい発展を遂げる未来の姿を
漫画に描いていたのは言うまでもありません。
それら、自分が何ができるだろう、
どんなに大変なときでも明るい未来を描いている
手塚治虫さんの人柄を尊敬しています。
「漫画と写真って似ているの?」って聞かれることがありますが
そういうことではありません。
明るい未来を想像する気持ちを忘れないでいたいものです。
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