まおちゃんのランドセル2011-03-19 Sat 19:15 夜中の2時に建物火災があって消防団で出動 爆睡状態からサイレンの音で飛び起きたのですが、 思わずテレビをつけてしまいました。 寝ぼけていて、地元の火災なのか災害報道かわからなかったです。 結局、朝6時まで火災現場にいて、 今日はそのまま仕事をしています。 今日のお客様はまおちゃん 爽やかな水色のランドセルだったので 背景も水色の背景を選んでみました。 ![]() はじめのうちはちょっと緊張かな? 女の子にこういう水色が人気なんですよね。 黒板に名前と好きな絵を書いてもらいました。 ![]() 1年生になったときの記念の文字ですが、 なんでもいいから好きな絵を描いてくださいね。 ![]() AKB48のお姉さんが着ているような服ですね。 まおちゃん、今日はありがとうございました。 11日の大地震が発生してから<不謹慎産業>という新しい言葉が生まれたようです。 YAHOOに<不謹慎産業>と入れるとヒットします。 居酒屋、レジャー、娯楽などをさすそうですが 記念写真などのスタジオ産業も余波があるみたい。 民放のCMが公共広告機構(AC)ばっかりというのも 多くの企業が不謹慎だと判断してCMをやめているからでしょう。 この状態がいつまでも続いたら大変なことになってしまします。 今月の結婚式の仕事は全て延期(またはキャンセル)になってしまいました。 交通機関がストップしているのでいたしかたありません。 週末というのに静かな一日です。 (小学校の卒業式当日は、新しい制服の方がたくさんお越しいただきました) たしかに、入学・入園の記念写真どころじゃない方も大勢いますが 乙武洋匡さんもツイッターでかいていましたが、 不謹慎かどうかは自分自身できめること、 誰かに縛られるものではないだろうと思います。 この春、卒業、入園・入学と新しいスタートを迎える人たちに 今の姿を是非残しておいていただきたいと思います。 ツイッターをされている方、是非フォローお願いいたします photoabeでつぶやいています。 個人のはフェースブックでやり取りしています。 フェースブックの「尊敬している人物」に<手塚治虫>と書いています。 以前から、手塚治虫さんを尊敬しています。 それは漫画家としてではなく生き方としてです。 手塚さんは昭和3年生まれで中学生のときに太平洋戦争を経験しました。 その時に、軍需工場に借り出されたときも漫画を書いていたのですが、 それが不謹慎と咎められたりしました。 それでも友達から続きの漫画を描いてくれと頼まれ トイレ(便所っていう方が適切かも?)の壁に漫画を描いたりして また叱られたりしていたのですが 友達からの依頼でいろんな漫画を描いたのだそうです。 戦争で暗い気持ちになっている友達にたいして 自分が何ができるかを考えてのことだったそうです。 当時は不謹慎と言われたかもしれませんが 自分が何ができるだろうと考えたのは確かだと思います。 そして、戦後になり大阪大学の医学部(当時は名称は違うはず)時代に プロの漫画家としてデビュー。 戦後の焼け野原の日本にいながら すばらしい発展を遂げる未来の姿を 漫画に描いていたのは言うまでもありません。 それら、自分が何ができるだろう、 どんなに大変なときでも明るい未来を描いている 手塚治虫さんの人柄を尊敬しています。 「漫画と写真って似ているの?」って聞かれることがありますが そういうことではありません。 明るい未来を想像する気持ちを忘れないでいたいものです。 スポンサーサイト
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