叔父のお葬式
日帰りの栃木から帰ってきた翌朝7時ころ
玄関のチャイムがピンポン!
近くに住む叔父がやってきて
東京に住むうちのバアチャンの一番下の弟が亡くなった知らせ
朝、起きてこないと思ったら亡くなっていたのだそうです
自分が生まれたときに山形南高校を卒業して浪人生活をしていたので
18歳ちがい(学年で19年)違うけれど、
親戚のなかで一番話のあう叔父さんでした
本当はすぐにでも行かなければならないところですが
あまりにも急すぎて当日の予約や予定をもうどうにも動かせません。
とりあえず、先陣でバアチャンと天童の実家の叔父さんが
二人で新幹線に飛び乗ることに

叔父の家は東村山市
西武新宿線久米川駅が最寄り駅なのですが
高田馬場で山手線から西武線の乗り換えのときに
人ごみに押されてバアチャンが大けがしたりしてはいけません
東京駅から中央線、国分寺から西武国分寺線
東村山からタクシーというルートのメモ書きだけ渡して出発
もう、天童で待っているほうがドキドキでした
葬儀は3月10日に決まったとのこと
時間があるのでいったん天童まで帰ってきました
3月10日は大安の土曜日で結婚式のお仕事があり
前撮りをしていない当日撮影の和装の新郎新婦さん
和装の結婚式でお嫁さんのポーズを作るというのは
実は超難易度の高い技術で、
県内外の知り合いの写真館さんにあたったのですが
その技術をもっているみなさんはどこでも予約びっしりでした

3月9日の朝に姉二人が山形の親戚を乗せて東村山まで
車でいくといろんなものを持っていけるので、
故郷のお米の小さいパックを持っていきました。
お通夜、お葬式、出棺、火葬
セレモニーがすべて終わり夜中に一行は帰宅
翌朝、従妹のヒロミちゃんが
「山形のお米でご飯を炊いて祭壇にあげました」
とラインを送ってくれました。
叔父の遺影は、数年前に天童に来た時に
うちのスタジオで奥さんと、奥さんのお父さんと3人で撮影した写真でした

次の日 うちのバアチャンは首が痛いと・・・
フランスのプジョーという車のワゴン車で行ったのですが
プジョーの天井はこんな感じでガラス張りなので上が丸見え
「安達太良まできたぁ」
「那須高原だぁ」
「宇都宮 餃子うまいんあだぁ」
「佐野 らーめんうまいんだぁ」
天井から看板を見ながら行ったら、それはさすがに首が痛くなるはずです
年度末が落ち着いたら一度御参りに行きたいと思います。
玄関のチャイムがピンポン!
近くに住む叔父がやってきて
東京に住むうちのバアチャンの一番下の弟が亡くなった知らせ
朝、起きてこないと思ったら亡くなっていたのだそうです
自分が生まれたときに山形南高校を卒業して浪人生活をしていたので
18歳ちがい(学年で19年)違うけれど、
親戚のなかで一番話のあう叔父さんでした
本当はすぐにでも行かなければならないところですが
あまりにも急すぎて当日の予約や予定をもうどうにも動かせません。
とりあえず、先陣でバアチャンと天童の実家の叔父さんが
二人で新幹線に飛び乗ることに

叔父の家は東村山市
西武新宿線久米川駅が最寄り駅なのですが
高田馬場で山手線から西武線の乗り換えのときに
人ごみに押されてバアチャンが大けがしたりしてはいけません
東京駅から中央線、国分寺から西武国分寺線
東村山からタクシーというルートのメモ書きだけ渡して出発
もう、天童で待っているほうがドキドキでした
葬儀は3月10日に決まったとのこと
時間があるのでいったん天童まで帰ってきました
3月10日は大安の土曜日で結婚式のお仕事があり
前撮りをしていない当日撮影の和装の新郎新婦さん
和装の結婚式でお嫁さんのポーズを作るというのは
実は超難易度の高い技術で、
県内外の知り合いの写真館さんにあたったのですが
その技術をもっているみなさんはどこでも予約びっしりでした

3月9日の朝に姉二人が山形の親戚を乗せて東村山まで
車でいくといろんなものを持っていけるので、
故郷のお米の小さいパックを持っていきました。
お通夜、お葬式、出棺、火葬
セレモニーがすべて終わり夜中に一行は帰宅
翌朝、従妹のヒロミちゃんが
「山形のお米でご飯を炊いて祭壇にあげました」
とラインを送ってくれました。
叔父の遺影は、数年前に天童に来た時に
うちのスタジオで奥さんと、奥さんのお父さんと3人で撮影した写真でした

次の日 うちのバアチャンは首が痛いと・・・
フランスのプジョーという車のワゴン車で行ったのですが
プジョーの天井はこんな感じでガラス張りなので上が丸見え
「安達太良まできたぁ」
「那須高原だぁ」
「宇都宮 餃子うまいんあだぁ」
「佐野 らーめんうまいんだぁ」
天井から看板を見ながら行ったら、それはさすがに首が痛くなるはずです
年度末が落ち着いたら一度御参りに行きたいと思います。
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